ナカムラ ユズルは、1976年から本格的に創作活動を始めました。 このブログでは、彼の最新の作品から歴史的な作品まで、様々な表現形式による彼の作品へのアクセスを提供します。 今後、ナカムラ ユズルの新たな作品の情報は、このブログでのみ提供します。 Yuzuru Nakamura has begun art creation activity in earnest from 1976. Access to his work by various expressive means is offered to from his latest work in historical works by this blog. Information on his new work will be offered only by this blog from now on.
    
Q 今般、ブログ上の40周年記念展を開催した経緯についてお伺いします。

NY:2019年5月に、4年ぶりの個展を開催しました。その前年秋の癌の手術入院とその後の抗がん剤治療と続き、肉体的、精神的にそれまで経験したことのないことを経験しながら、何とか個展を終えました。自分の中では、作品として、さらに先に分け入ったものとしながら、十分に燃焼していなかったとの思いが残りました。昨年夏頃から制作が再始動して、10月11月と集中して、順調に作品制作が進みました。ちょうどその頃に、ギャラリーアート童夢から個展企画の依頼がありましたが、それも、コロナウイルス禍の影響で中止となりました。直接ではなくとも、遠くまでウイルスのリスクを気にして足を運んでもらわなくとも、作品に触れる機会になると考え、ブログにました。現実に、写真やネットの情報から先ずアート作品に触れることの方が多いですからね。2015年からブログをやっていたので、そこに載せてと思い立ちました。


Q 幼いころの絵画や芸術との出会いについて教えてください。

NY:自然以外は何もないような小さな町でしたから、身に沁みついた潮風、風景、雪、氷、海、川、沼、草原が、原風景として残っています。18歳まで暮らした家は、海や河に近く、沼もありました。父親が絵を描くのが好きだったのでしょうか、家の中に、父が描いた絵が飾ってありました。仏壇の上に祖父の肖像をクレパスで描いた絵があったのを覚えています。幼い時、父に塗り絵の下絵を描いてもらったこともありました。そういうこともあり、幼いころから、絵を描いたり、物を作ることが好きでした。ただ、自然に遊びのなかでやっていることですが。原初的な発露として、そういうことが、絵画や芸術というものと繋がっていることは確かですが、子供の頃には珍しいことではありません。自己認識としての絵画や芸術観を持つには、さまざまな見聞や知識が必要でした。


Q 進学した大学は美術系ではありません。美大に進学しようとは思わなかったのですか?

NY: 高校生の頃は、ポスターデザインが好きで、よく家で書いていました。美術部の担任から入部を進められたりして、絵をかくことは変わらず好きでした。でも、即、将来の職業に結びつけて考えるようなことはありませんでした。生業としなくとも、続けられるのではないかとの思いがあったかもしれません。


Q 東京で出会ったものの中で、大きな影響を及ぼしたものは何でしたか。

NY: 先に東京の大学に進学した5歳上の兄からの波及効果はありましたが、直接自分の目や肌で感じることのインパクトの大きさは凄かったです。初めて一人で新宿の街にでて、人込みの中、恐怖心で歩けずに、すぐ電車に乗って帰ったのを覚えています。
 たまたま入った美術サークルで出会った同世代の人に、理工学部や建築学科の学生が多かったことは、後々考えると、平面から立体、空間へと志向していくことに影響を及ぼしたと思います。それと、早稲田大学の自由な雰囲気が大きかったと思います。


Q 学生時代に出会った「版画」、「板画」から、どのようにして、「絵画」へと進んだのですか。

NY:小学校の図工の授業でいろいろな版画に接していましたが、伝統的な版画と異なる棟方志功の「板画」に興味を持ち、自分でやってみないと分からないとの思いで、見よう見真似で作成したのが、「雑戯頌」「童良子頌」でした。その後、どんどんと嵌っていって、多色木版から版種もシルクスクリーンと広がっていきました。自分が表現するものと、手段としての版画との間に接点が見つからず、版画を続けることに疑問を持つようになりました。なぜ、版画でなければならないのか、答えが出ませんでした。それで、木版を使ったドローイング=フロッタージュ、半立体風な作品に進むことになります。


Q 「版画」から「絵画」へは、直ではなかったということですか。

NY:その後も、アースワークやインスタレーションと手法は変遷して進みます。おそらく、時代の流行に流されていたのでしょうね。自分でやってみないと分からないとの思いと、独学の身の軽さのようなものがあった思います


Q 絵画的な作品へと変わっていくきっかけとなったことがあったのでしょうか。

NY:1989年と1991年、海外へ2度行ったことが、何らかの影響を及ぼしたと思います。1989年は新婚旅行でしたが、天安門事件は、パリのホテルのテレビで知りました。1991年は、ベルリンの壁崩壊から1年半後のワルシャワ、ルブリンの街を見て歩きました。ルブリンに着いた翌朝ホテルの部屋から眺めた街の風景が印象的だったのをよく覚えています。写真で見た日本の戦後の街のようでした。真っ暗なルブリンの夜の街。場所や時間の感覚の異相を実感しました。みな日本の外に出て感じることですが、文化的なルーツを外から俯瞰して捉えざるを得ない感覚がありました。


Q 結局、次の作品発表まで、10年を要することになりますが、その間、どうなさっていたのですか。

NY:息子と娘が生まれて、子育てに慌ただしい生活を過ごしていたのですが、大変貴重な時間だったと考えています。創作への意欲は段々と高まっていました。国内や海外の公募展に出品したりしていました。そんな中、版手法に絵画手法を混合した作品をはじめました。


Q それがギャラリーNWハウスでの作品ですね。

NY:この画廊は、居酒屋の予定が途中で頓挫して、壁がコンクリート打ち放しのままの内装となった画廊で、壁の堅牢さとの対比が面白かったです。


Q 2007年の作品では、絵画性が横溢したものになったように感じましたが。

NY:全体にまとまりを逸した内容でしたが、既に2011年の作品のことをイメージして、版木を使ったフロッタージュへの回帰を考えていました。


Q 2011年の作品と2015年の作品との大きな相違は何でしょうか。

NY:2015年の作品から「無形のちから」というタイトルを付しています。従来からの作品制作に対する考えに「無形のちから」という概念テーマを設定しました。表現を抑えた方がより表現として強くなるといった意味です。表現は、前もって反応を想定することが通常ですから、予定調和的なものに陥りやすいことがあります。これは、日本古来からの美に関する傾向に呼応しています。省略や間を用いた表現美です。2011年との相違は、より色彩を抑えた単色主義的傾向が強まったことです。それと、黒の表現が多様になったことです。背景には、ある事から偶然に、倫理哲学や人類学に嵌って読み漁っていたこともありますかね。


Q 2019年の作品は、より進んだ展開を見せたように感じられますが。

NY:2015年の作品の後半は、ほぼ白地に、鉛筆、墨、顔料によるドローイング重ね塗りが主体になっています。2019年の作品では、支持体を完全な四角形になりました。壁の白い背景に四角い黒という組合せ、空間と一体となるような感じ。色彩は、官能の黒、黒の光と闇の狭間が、視覚に微笑むように。誰でも、闇の中から何かが見つめていて手を引いて何処かに連れていかれるような恐怖に駆られる経験をしたことあると思いますが。

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